スーパービジュアルインパクト

FF映画の「最後の幻想」

映画『ファイナルファンタジー』が、なにゆえに優れているのかということを力説した『スーパービジュアルインパクト』。映画の日本公開直前に出版された。結果を知っている立場からこの本を笑うのは簡単だが……。

映画『ファイナルファンタジー』とはなんだったのか?

 「だれか止めるやつはいなかったのか?」
 劇場の大きなスクリーンで、映画『ファイナルファンタジー』(以下、『FFM』)を見終わった私の、最初の感想である。

 頭から終いまで破綻しまくったストーリーは、まったくの意味不明。こんな映画が、なんで世に出てしまったのか? スポンサーや配給会社の偉いひとたちは、「これはやばいかも」と思わなかったのか?

 予想通り、『FFM』は興行的に惨敗を喫し、160億円という法外な製作費を回収できずに、製作元のスクウェア(現・スクウェアエニックス)があやうくつぶれかける事態になってしまった。

 今になって落ち着いて考えれば、あのような映画が世に受け入れられるわけがないということぐらい、だれだってわかる。しかし、あの当時は、『FFM』がいかに画期的ですばらしいかということが、マスコミなどでさかんに喧伝され、「日本を代表するコンテンツのハリウッド進出」が、大変な偉業として讃えられていたのだ。

 『日経エンターテインメント』誌には、『FFM』の製作過程と、監督の坂口博信氏の動静を伝える連載記事があって、毎月言葉を尽くして『FFM』を誉めちぎっていたし、「『FFM』腕時計」、「『FFM』フィギュア」などの関連グッズも、競って発売され、関連書籍の出版もさかんだった。

 今は亡きデジキューブから出版された、『スーパービジュアルインパクト』もまた、こうした『FFM』ラッシュに乗って出版された本のひとつである。

撃ちてし止まむ、ハリウッド!

 「フルCG映画『ファイナルファンタジー』に見る新しい映画製作理論」というサブタイトルがついているこの本からは、『FFM』の登場によって歴史が変わるとか、ハリウッドが大きな変質を迫られることになるとか、様々な大言壮語や大風呂敷が、次から次へと飛び出してくる。

「スクウェアは、ハリウッドに正面切って挑戦する機会が与えられただけでなく、約二千六百館での上映という赤絨毯まで用意された。これは、文化的にも非常に意味のあることで、普通なら外国資本の映画がすんなりハリウッドに受け入れられることなど滅多にないのだ。ハリウッドの内側から受け入れられたのではないにせよ、この『FFM』の功績は、特にアメリカ人以外のアーティストたちにとって、大きな自信と励みになったのではないだろうか」
(1章9節「『FFM』の文化的意義とは?」、30ページ)
「今まではその内部でほとんどの映像革命を起こしてきた強大なハリウッドが、方向転換するきっかけになるかもしれないのだ。ピクサーやディズニー、PDIやドリームワークス、そしてILMは、今後フォトリアリスティックなCGキャラクターを創造する際、『FFM』の存在を意識しないわけにはいかないだろう。これから製作される全てのフォトリアリスティックなフルCG映画は『FFM』の軌跡を「追随」することになるのだから」
(4章11節「写実的なフルCG映画としての第一歩」、112ページ)

 今読むと苦笑するほかない、これら勇ましい言葉の数々は、別に著者一人の勘違いというわけではない。当時の日本には、上の引用のような見方が現実的なこととして語られる雰囲気が、確かにあった。

 得意のCG技術を武器にハリウッドになぐり込み、日の丸の旗を立てる……そんな構図が、ハリウッドコンプレックスをもつ人々の心の琴線に触れ、『FFM』に対する過度な期待を生んだのではないかと思う。

 しかし、映画の善し悪しを決めるのは、技術ではなく、内容であり、どんなにお金のかかることをしているかではなく、いかに人々を感動させるかである。製作費をつぎ込めばつぎ込むほどおもしろくなるわけではなく、低予算で作られたものにも傑作はある。

 この本の制作に携わった人たちをはじめとする、『FFM』の「ハリウッド征服」を信じていた人々には、こんなあまりにも基本的なことがわかっていなかったのだ。

映画大国ニッポン?

 「世界の映画界はハリウッドに牛耳られており、日本はつけいる隙もない」というハリウッドコンプレックスにとらわれている人には意外かも知れないが、映画に関する限り、日本という国の評価は非常に高い。溝口健二、小津安二郎、黒澤明などの優秀な映画人を輩出した、映画のさかんな国だと、日本は見られているのだ。

 彼ら先人たちはこれまで、世界に誇りうる数多くの映画を生み出してきた。また、最近になってからも、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』が、アカデミー賞を受賞するなど高い評価を受けた。内容の優れた映画は、ちゃんと世界で受け入れられるのだ。

 『FFM』など自慢しなくとも、本当に自慢できる映画はほかにいくらでもある。

 誇りというのは、やみくもに「自分がすばらしい」と自慢することではない。自分が本当に誇れることは何かということは、冷静に己を省みてはじめて見えてくるものだ。そうした自省を欠いたやみくもな誇りは、結局『FFM』を自慢する類の愚に陥りやすい。

 『スーパービジュアルインパクト』は、こうしたことを我々に教えてくれる、偉大な反面教師である。

(2/3/2004)

『スーパービジュアルインパクト』
奥谷海人著・デジキューブ
おすすめ度:★★☆☆☆