ミツバチのささやき

少女のリアリズム

子供を描いた映画はいくらでもあるが、この『ミツバチのささやき』では、ひと味ちがった描き方がなされている。普通の映画なら、子供の目から見た世界を描くときも、そこに必ず大人の視線がはいり込むものだが……。

少女と怪物の出会い

 少女の日常を描いた映画である。

 時は1940年前後。場所はスペイン中部、カスティーリャ地方の寒村。少女の名はアナ。歳は5才か、6才ぐらい……少女というよりは、幼女か。

 ある日、アナの住むひなびた村に、巡回映画がやってくる。『フランケンシュタイン』だ。村の小さな公民館で、姉とともに映画を見たアナは、フランケンシュタインの怪物の実在を信じるようになる……。

 と、冒頭の部分だけを見ると、フィクションの内容を現実と信じた純真な少女が、それを一笑に付すまわりの大人たちと軋轢を起こすという、よくあるパターンの物語かという気もするが、残念ながら『ミツバチのささやき』は、そういう映画ではない。

 怪物の存在を日常の一部として受け入れた少女の、日々の暮らしを、カメラは淡々と追っていくだけで、事件らしい事件は最後までなにも起こらない。

「大人の見た子供」と「ありのままの子供」

 5才の子供が、映画の内容を事実だと信じるなんてことは、なんでもない、あたりまえにあり得ることだ。『ミツバチのささやき』は、このあたりまえのことを、善し悪しの評価を加えることなく、あたりまえのこととして描いている。

 『フランケンシュタイン』のような恐ろしいフィクションが、少女の心に傷を残すといった、否定的な描き方でもなく、逆に、物語を信じる純真無垢な心をたたえるといった、肯定的な描き方でもない。両者に共通するのは、いずれも「大人の視点から見た子供の心」の描き方ということだ。

 『ミツバチのささやき』には、これら大人の視点がない。あくまでも、怪物の存在をあたりまえのことと思う少女の視点に立って、それをあたりまえのこととして描いている。これこそこの映画が、凡百の子供もの映画と一線を画している点である。

 上で、劇中になにも事件が起こらないと書いたが、実は、「大人の視点から見た事件」は、いくつか起こっている。父親に叱責されたアナが、森の中に走り去り、村中総出で探し回るさわぎになったりとか、村はずれの廃屋に隠れ住んでいた脱走兵が、銃撃戦の末、射殺されるといったことだ。

 大人たちにとってこれは大事件かもしれないが、5才の子供に、これらのことの重要性を理解せよと言っても、詮ないことである。アナにとってはこうしたことも日常のあたりまえの一部に過ぎず、ゆえに、この映画の中では、あたりまえのこととして淡々と描かれている。

『ミツバチのささやき』リアリズム映画説

 こうした、独創的な少女の描き方のせいで、『ミツバチのささやき』は、様々な誤解も受けている。

 たとえば、これを「無垢な少女の魂をたたえた映画だ」と考えている人も、けっこう大勢いるらしい。もちろんそれは、上で述べたとおり、誤りである。

 また、ある映像作家が、「これはフォトジェニー映画(映像美を追求した映画)だ」と言ったのを、私は聞いたことがある。

 たしかにこの映画の映像美はすばらしく、スペインの片田舎の風景を切り取った美しい映像の数々を見ているだけでも、十分楽しめるのはまちがいない。しかし、『ミツバチのささやき』は、映像美を見せつけることを主目的としたフォトジェニー映画などでは、断じてない。

 人間の姿を、よけいな修飾を廃し、ありのままに描いた映画のことを、リアリズム映画という。

 『ミツバチのささやき』は、5才の少女の姿を、大人の視点というよけいなものから解放してありのままの存在として描こうとした、リアリズムに徹した映画だと、私は思う。

(1/21/2005)

『ミツバチのささやき』
ビクトル・エリセ監督
アナ・トレント主演
おすすめ度:★★★★☆